これまでにお送りした水戸芸術館ATM速報

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Date:  Sun, 16 Dec 2001 17:15:09 +0900
From:  tamamik@arttowermito.or.jp
Subject:  [atm-info,01325] "Nakanainoka? Nakanainoka 1973-nen no tameni? --2002"
To:  atm-info@arttowermito.or.jp
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▼水戸芸術館ATM速報2001年12月16日発--------------------

ACM劇場プロデュース公演
『泣かないのか? 泣かないのか 一九七三年のために?--2002年』

水戸芸術館演劇部門芸術監督   松本小四郎

物語

場所は東京、時代は1973年。闇のなかで少年たちが、「夜をのがれて
/路地を曲がれば/そこはうわさの銭湯/今日を限りの/少年たちが
あふれるあの白い肌の銭湯..... 」と歌いだす。
すると、路地裏の銭湯が現われる。男が身体を洗っている。彼は
某高校の社会科の教師近藤である。そこに一人の青年が入ってくる。
教師は青年に「やっぱりきみじゃないか」と話しかけるが、青年は
「人違いだ」という。教師は薔薇紅の校庭が生徒たちの血で染まった
あの日のことを語り出す。青年はあの日のことを聞こうとしない。
すると、顔や頭から血を流し、衣服をひき裂かれた怪しげな集団が
銭湯へやってくる。残酷ゲイボーイ・ショーの一座「責縛座」の面々
である。彼らは青年と教師を無理やり残酷ショーの舞台に上げる。
青年は荒縄で縛られ、吊るし上げられ、鞭打ちショーを演じさせられ
る。突然、青年は絶叫する。その瞬間、あたりは一変する。青年は
思い出す、校庭から逃げ出した仲間たちの名前を言えと拷問を受けた
あの時を。それをきっかけに、舞台は銭湯から劇場へと変わり、
演劇というショーが始まる。『真情あふるる軽薄さ』『想い出の
日本一萬年』『鴉よ、おれたちは弾丸をこめる』『ぼくらが非情の
大河をくだる時』の劇的な場面が次々に上演される。だが、ショーが
終わると、おびただしい老婆の死体が横たわっている。責縛座の座長
お竜がショーが裏切った老婆たちだと告げる。青年と教師、愕然と
する。死んだ老婆のなかに銭湯の白老婆がいたからである。
なつかしのショーを演じるなかで、彼らは老婆たちを殺してしまった
のである。青年は教師を責める、教師は青年に愛を告白する。
そして、二人はいつ果てるとも知れぬショーを始める。


時代背景

1968年、演出家蜷川幸雄は、劇団「青俳」の俳優岡田英次、真山知子、
蟹江敬三と石橋蓮司以下の若手研究生たちと「現代人劇場」を結成
する。翌年69年に清水邦夫作『真情あふるる軽薄さ』をアート
シアター新宿文化で上演。この作品によって、清水・蜷川コンビに
よるアートシアター新宿文化の演劇がスタートする。当時の新宿
文化は60年代の世界的な映画作家の作品を次々に上映する一方で、
大島渚、篠田正浩、吉田喜重など日本のヌーヴェル・ヴァーグを
代表する映画作家を世に出していた。そのデビュー作となった
『真情あふるる軽薄さ』は鮮烈なスキャンダラスな舞台となり、
多くの文化人や若い演劇ファンが清水・蜷川コンビの演劇に注目
した。舞台装置は階段、そこに何かのチケットを買うために行列が
いる。そこへ若者が毛糸編み機の箱を背負ってやってくる。彼は
行列に悪態をつく。そして毛糸編み機の箱から機関銃をとりだし、
彼らを撃ち殺す。が、彼らは死なない。死んだまねをしているだけ
である。これはゲームである。若者と行列は死んだまねゲームを
繰り返す、すると警備員(機動隊員)が現われ、若者を袋叩きにする。
これもゲームである。だが、最後に少年が現われ、若者と行列に
向かって機関銃を乱射する。その瞬間、ゲームという芝居が終わる。

『真情あふるる軽薄さ』はそれまでの現代劇には見られなかった、
時代の雰囲気をダイレクトに映し出した斬新な作品として高い評価を
得た。その後、清水・蜷川コンビは『想い出の日本一萬年』(70年)
『鴉よ、おれたちは弾丸をこめる』(71年)『ぼくらが非情の大河を
くだる時』(72年)をアートシアター新宿文化で上演し、清水は
『ぼくらが非情の大河をくだる時』で岸田國士戯曲賞を受賞する。
だが、清水と蜷川のアートシアター新宿文化の時代は73年に幕を
下ろす。『泣かないのか? 泣かないのか 一九七三年のために?』は
その最後の作品であり、ひとつの時代の終わりを痛切に感じさせ、
騒乱の時代の葬送を見つめるように観客たちは舞台を見ていた。


演出ノートとしての作品解説

『泣かないのか? 泣かないのか 一九七三年のために?』は
73年の初演以来、三十年間一度も再演されなかった。作品が時代と
ともに封印されたからである。今回、ぜひ再演したいと思ったのは、
この作品が2001年という時代を予感させるような普遍的なテーマを
描いているからである。

アートシアター新宿文化の時代に清水邦夫が書いた作品のなかで、
もっとも時代というものを意識し、さまざまな手法を使って70年代
という時代を色濃く映し出した作品が『泣かないのか? 泣かないの
か 一九七三年のために?』である。青年と教師は、70年代初めに
高等学校で吹き荒れた学園紛争を経験した生き残りであり、
「責縛座」の面々は、60年から70年の十年の学生運動を生きてきた
集団であり、彼らも死ぬこともできずに生き残ってしまった人間たち
である。彼らが舞台で繰り広げる残酷ショーは、見世物であると
同時に、その十年の歴史を総括する劇になっている。そして、
その歴史が何であったのか、作者は「責縛座」の座長お竜にこう
言わせるのである--「ショーがこの老婆たちを裏切ったのさ。だから
永遠の恨みをこめて自らの首をくくったんだよ。なつかしのショー
タイムからこぼれ落ちた、たった一つの真実かも知れないねぇ」。
この一節は、三十年の歳月を経過したいま読むと、じつに象徴的な
内容を含んでいる。私たちは、この老婆の死が73年 1月 1日、
東京拘置所で自殺した連合赤軍のリーダー森恒夫の死を暗示している
ことに気づく。演劇も学生運動も闘争も、しょせんショーであり
ゲームにすぎない、そのなかで何人もの人間が死に、
彼らの死を悔いてひとりの男が自殺したのである。

私たちは、この73年を境に口を閉ざし、過去を忘れて経済的繁栄を
謳歌してきた。80年代のバブル景気はまさにその象徴的な十年と
いっていい。だが、90年代に入ってバブル景気がはじけ、
社会的構造の歪みに気づいたとき、私たちはいまを生きることに
疲弊し、先の見えない時代に絶望し、懸命に覚醒しようとしている。

『泣かないのか? 泣かないのか 一九七三年』はそうした時代を
予言していた。この作品の基調音を奏でているのは絶望と覚醒である。
絶望を生きるのは教師であり、覚醒を生きるのが青年であり、
彼らがはげしく衝突するのである。時代の終焉に絶望し、喧騒から
醒め、未来の見えない現在を狂おしく動きまわる青年と教師から
悲痛な叫びのようなものが聞こえてくる。その叫びが2001年に
ふたたび聞こえてきたといったら誇張になるだろうか。
ニューヨークの貿易センタービルの悲劇は、21世紀は新しい時代の
始まりではないことを予感させたのではないだろうか。70年代を
直視してこなかった私たちの奥底にひそんでいた<不安>が
世界的に波及する激動の時代の始まりのように思えてならない。
私たちはいま、世界中で絶望し覚醒する多くの人々を見なければ
ならない。そして、1973年のために泣いた作者と登場人物たちが
いま私たちの前に現われなければならないとしたら、私たちもまた
2001年のために泣かなければならないからではないだろうか。

今回『泣かないのか?泣かないのか一九七三年のために?--2002年』
とタイトルをつけたのは、2002年 1月の舞台で私たちは「泣かない
のか?泣かないのか二○○一年のために?」といいたいと思った
からである。

公演詳細
http://www.arttowermito.or.jp/atm-info/1300/1317.html

http://www.arttowermito.or.jp/atm-j.html 次回配信をお楽しみに!---