これまでにお送りした水戸芸術館ATM速報

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Date: Mon, 11 Oct 2004 17:11:26 +0900
From: tamamik@arttowermito.or.jp
Subject: [atm-info,01858] October 16 (Sat.) Roger Muraro Piano Recital
To: atm-info@arttowermito.or.jp
Message-Id: <49256F2A.002CFE4D.00@david.arttowermito.or.jp>
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▼水戸芸術館ATM速報2004年10月11日発------------------

皆様、ロジェ・ムラロのピアノ・リサイタルが近づいてまいりました。
ムラロといえばメシアン、メシアンといえばムラロ。
最初に<幼子イエスによせる20のまなざし>を聴いたときは、
その、薄氷の上でダンスのステップを踏むような、尋常ならざる技の
切れと感覚の冴えに、とにかく驚きました。
メシアンというと、その音楽の根幹をなすカトリシズムの強烈さに、
引いてしまう方もいらっしゃるかと推察しますが、
そのような方にこそムラロのメシアンを聴いていただきたい。
こんなにもクリスタルで美しい響きに満ちた音楽だったのか!と
感嘆すること必至です。20世紀フランス音楽における異貌の巨魁は、
実はドビュッシーやラヴェルらの系譜に連なる音楽家なのだ --
そんな印象を、ムラロのメシアンは与えてくれました。

さて、ムラロとメシアンの関係についてはちらしや vivo で触れられ
ているので、ここではこのリサイタルにおけるもうひとつの
メイン曲目であるムソルグスキー<展覧会の絵>に触れたいと
思います。というか、私はこの企画の担当者ではないのですが、
あんまり<展覧会の絵>っていいよね!と騒いでいるので、じゃあ
お前が速報ネタとしてなんか書け、という話になった次第です
(ちなみに中村 晃が10月14日(木)付の茨城新聞「ATMだより」で
この曲について書きますので、こちらもご一読を)。
ムラロのリサイタルでこの曲が取り上げられるので、CDを買って
久しぶりに聴いてみたのですが、これがいい!
「あんまり当たり前なことを言うなよ」とお叱りを受けそうですが、
ちょっとこの曲の真価を見誤っていた部分があったので、もし私同様
この曲に一定のイメージをお持ちの方がいらっしゃったら -- と思い、
書かずにはいられなくなったのです。
<展覧会の絵>の本来の演奏形態であるピアノ版を聴きなおして
思ったのは、私たちは(少なくとも私は)あまりにもラヴェルによる
管弦楽編曲版を通じてこの曲に慣れ過ぎていたのではないか、
ということです。なるほど、管弦楽の魔術師ラヴェルの編曲は、
そりゃもう見事です。オリジナルが管弦楽版なんじゃないか、
というくらい効果的です。
しかし、あまりにも華麗なタブローの連続で、その背景に隠されて
しまった要素がいくつかあるような気がします。
ピアノ版の優れた演奏を聴いていると、その隠された要素が次々と
現れ、この曲の輻輳した多義性が露になってきます。ホロヴィッツの
伝説的な録音からは、この曲のヴィルトゥオーソ・ピースとしての
輝かしさを感じることができるでしょう(彼自身がかなり編曲して
いるせいもありますが)。リヒテルの60年代の演奏からは、豪壮で
どっしりしたロシアの大地と農民たちの姿が目に浮かび、リアリスト・
ムソルグスキーのイメージにはこれが一番近いかも、と思います。
逆にこの曲の幻想性やムソルグスキー自身の狂気を極端なほど
デフォルメして表現したアファナシエフの「クレイジー!」と
叫ばずにはいられない怪演があります。また、先ごろ残念ながら
亡くなられた園田高弘さん(ご冥福をお祈りします)のCDもあり、
これは楽譜を入念に読み込んだ、イメージ豊かな堂々たる名演です。
ただしこれらのピアノ版はリムスキー=コルサコフが校訂したものを
用いており(ホロヴィッツはほとんど「ホロヴィッツ版」ですが)、
ムソルグスキーのオリジナル譜はいろいろ違う部分があるそうです。
しかしこれはまだ聴いていません(小川典子さんのCDがあります)。
しかしピアノ版で私が個人的に特別な深い感銘を受けたのは、
アナトール・ウゴルスキのCDです。ウゴルスキは93年に水戸芸術館で
リサイタルを行なっているロシアのピアニストですが、旧ソ連で長く
反体制者として弾圧され、公的活動をほとんど禁じられていた「幻の
ピアニスト」でした。1992年に亡命先の西側で劇的な「デビュー」を
飾り、たいへんな話題となったことを記憶されている方も
いらっしゃるかと思います。
ウゴルスキの<展覧会の絵>は彼のデビュー盤のひとつとして
絶賛されたものですが、楽譜からの自由度という点では
ホロヴィッツに次ぐ、と言えるかもしれません。ただしそれは、
音をいろいろ加えている、という意味ではなく、
ダイナミクスやテンポをウゴルスキ独自の解釈で自由に変えている、
という意味においてです。そしてその表現のベクトルは
ホロヴィッツの外向的なヴィルトゥオジティとは反対に、
むしろ内面へと向かっていきます。ダイナミクスの変更は主にピアノ、
ピアニッシモ方向でなされ(冒頭の<プロムナード>や終曲<キエフ
の大門>の頭の部分をお聴きください)、テンポのゆらぎは大見得
とは無縁で、心の微細な震えを写し取ったかのよう。そしてタッチは
徹底して明晰でありながら、きついアタックは避けられ、
柔らかく輝く音の粒子が耳の中にきりもなく転がりこんできます。
こんなに静かで -- ドラマがない、という意味ではなく、むしろ
その逆で、聴き手にどこまでも集中力を要求する緊張感が支配して
います -- 、抒情的ですらある<展覧会の絵>は聴いたことがない。
ほとんど「悲しい」と感じてしまうこの静けさはいったいなんだろう。
魅惑されつつ考え込みながら聴き進むうちに、曲は<カタコンブ
(ローマ時代の墓)>の重い和音の連打を経て<死せる言葉による
死者への話しかけ>に入りました。<プロムナード>の旋律が短調に
転じとぎれとぎれに歌われる、その上で鳴り続ける高音のトレモロ。
トレモロといいながらもウゴルスキのそれは単調な上下動ではなく、
不規則に、ひそやかに打ち鳴らされる小さな鐘の音のよう。
その美しさに金縛りになりながら、はっと気づきました。
そうだ、そういえばこの曲は、ムソルグスキーの死せる友人
ハルトマンに捧げられたレクイエムだったのだ。
<カタコンブ>から<死せる言葉... >へと至る流れに
ムソルグスキーの哀悼の念がもっとも強く表現されているのであり、
ここで打ち鳴らされるトレモロの鐘は、弔鐘なのだ、と。
そして連想は広がります。この部分のウゴルスキの演奏は、
ほとんど彼自身の声のような痛切さで響くが、それはウゴルスキ
自身がソ連時代に目の当たりにしてきた、強圧的な権力によって
肉体的あるいは精神的な死を余儀なくされた人々への、レクイエム
でもあるからではないだろうか?そしてそれは後半、
ムソルグスキーが「頭蓋骨が内側から光り始める... 」と記した
そのままに、鈍く暖かい癒しの光を放ち始めます。
突飛な連想でしょうか?しかし、続く<バーバ・ヤガーの小屋>の
最初の音符が、深夜に不幸な犠牲者のドアをノックする迫害者の
ように、ノスタルジアに満ちた葬送歌を残忍に断ち切るのを
聴き逃すことはできません。ウゴルスキは、ここまでの演奏では
禁じていた荒々しいフォルティッシモを容赦なく響かせます。
それは怒りと嘲笑、皮肉とがないまぜになった暴風です。
この嵐が鎮められるには、最終曲<キエフの大門>が突然介入する
瞬間まで待たねばなりません。予想を裏切り、ウゴルスキは
<キエフの大門>をピアノ(ほとんどピアニッシモ)で弾きはじめ
ます。自由を希求するものの声は、決して他を圧し、従属させる
ような大声であってはならない、それは静かだがどんな暴力にも
屈しないしなやかな力強さを備えた声でなくてはならない、
とでも言うように。ここからは圧巻です。再び鐘の音が、
今度は高らかに鳴り響きます。信じられないほどの色彩感に富んだ
鐘の音は、弔鐘、自由を謳歌する鐘、希望の鐘... とさまざまな
意味を包含して響き渡ります。この終曲に、「お約束」の豪華な
クライマックスはなく、その代わりいまだ人類の歴史において未完で
あり続けている理想郷への、切実な希求の念があります。
そういえば、この<キエフの大門>とは、ハルトマンが夢見つつ
実現することができなかった未完の巨大な建築物を、音で描いたもの
ではなかったでしょうか... 。

さて、ムラロ(すみません、やっと戻ってきました。ムラロの
リサイタルだっちゅうに... )。彼の<展覧会の絵>も、
上述のいずれの演奏とも違う、鮮烈な内容です。
しかしその内容についてここで詳述することは、
映画のストーリイを先に話してしまうのと同じ野暮なので、
ぜひリサイタルで実演を聴いておたしかめください、とだけ
申し上げておきましょう。ひとつだけ書いておくならば、
鍵はプログラムの構成にひそんでいます。
最初に演奏されるラヴェルの小品<...風に>にご注目ください。
この曲は<ボロディン風に><シャブリエ風に>の2曲からなるの
ですが、今回のリサイタルではラヴェルが並べた順序を逆にして、
<シャブリエ風に><ボロディン風に>の順で演奏されます。
担当の馬場千恵から水戸は順序が逆(ちなみにすみだトリフォニーの
ラヴェル・ピアノ曲全曲演奏会では、ムラロは通常の順序で弾きます)
という話を聞いて「へーえ、どうしてだろうね」と言っていたのです
が、はっと気づきました。ムラロは、ムソルグスキーの同僚作曲家
ボロディンの作風に則ってラヴェルが書いた<ボロディン風>を
仲立ちに、ラヴェルからムソルグスキーへと橋を架けようとしている
のではないかと(<展覧会の絵>をラヴェルが管弦楽編曲している
ことは、あらためて書くまでもないですよね)。ラヴェルという
通奏低音に支えられ奏でられるムソルグスキー... なんとなく
ムラロの狙いが、見えてきませんか?
おっと、これ以上書くのはやめときましょう。
さらに後半のメシアンとの組み合わせについても、なにか仕掛けが
あるかもしれません(私は今のところ、まだわかりませんが)。
水戸だけの、まさに一期一会のプログラムで、
未知なる驚異のピアニスト、ムラロのピアニズムを
ひとりでも多くの方にお楽しみいただきたい、と
心から思っています。
皆様のお越しをお待ちしています!

文:  矢澤 孝樹(水戸芸術館音楽部門主任学芸員)
担当:馬場 千恵(水戸芸術館音楽部門学芸員)、中村 晃(同左)

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ロジェ・ムラロ ピアノ・リサイタル
2004年10月16日[土]18:00開場・18:30開演
http://www.arttowermito.or.jp/atm-info/1800/1826.html
料金(全席指定):A席 3,500円・B席 2,500円
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