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Date: Fri, 15 Oct 2004 20:20:26 +0900
From: tamamik@arttowermito.or.jp
Subject: [atm-info,01860] "Doto" detailed information
To: atm-info@arttowermito.or.jp
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▼水戸芸術館ATM速報2004年10月15日発------------------
思いたったらやらずにはいられない男・北里柴三郎
内務省の命令でドイツへ留学した北里柴三郎は、破傷風菌抗毒素の
発見などから血清療法の基礎を築き、世界的な名声を得ていた。
しかし帰国後、日本ではその研究の成果が正当な評価を受けること
なく、研究室さえもてずにいた。
明治25年。助手の梅本や妻の富子と共に、自宅裏の納屋を改造し
実験を続ける北里。そこへ突然、時事新報の福沢諭吉が訪れて、
研究所設立の援助を申し出る。芝公園の一角に建てられた研究所で、
北里はようやく本格的な研究を始めることになった。
翌年春。得体の知れない伝染病研究への不安から、研究所の
周辺住民による立退き運動が勃発。「俺を狙うものがあったら
一人一人取り押さえて説教をしてやる」と豪語する北里。そんな時、
実の娘の善子がジフテリアにかかってしまう。北里は大胆にも、
動物試験の済んでない血清を善子に試すことを宣言。その効果に
よって、世間の研究所に対する不安を一蹴しようと企てたのだ。
北里の努力によって伝染病研究への誤解がなくなりはじめた頃、
内務省では後藤新平衛生局長が伝染病研究所を官立にすることを
画策していた。そんなある日、香港でペストが大流行していること
を聞く。北里はペスト菌という伝染病への気持ちが抑えられなく
なり、香港へ旅立つ。
大正3年、内務省衛生局の所管にあった伝染病研究所が文部省に移管。
帝国大学の所属下に置かれることになり、所内はてんやわんやの
大騒ぎになる。北里は引退を決断。愛弟子の梅本は伝研を離れての
生活は考えられないと言い放ち、移管される研究所に残った。
一方、喜多一郎を中心とする他の所員は北里を説得。北里は新たに
北里研究所を立ち上げる。
三年後、帝国大学の緒方教授の在職25年記念祝賀会が終わり、
北里家に立ち寄った喜多は、慶應義塾大学の医学科長就任の要請が
北里にあることを伝える。北里は不機嫌に断るが、喜多の猛烈な
説得に、結局は引き受けることになる。妻の富子は言う「あなたと
いう方は、新しい仕事というと結局やってみないではいられない人
なんです」。
北里柴三郎に長谷川裕久、妻・富子に米川理恵子のキャストで、
本日より6回公演の、シリーズ・日本の劇作家たち 2『怒濤』
始まりました。
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シリーズ・日本の劇作家たち 2
『怒濤(どとう)』
作:森本薫/演出:松本小四郎
平成16年度文化庁 芸術拠点形成事業
http://www.bunka.go.jp/
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2004年10月15日(金) 19:00開演
2004年10月16日(土) 19:00開演
2004年10月17日(日) 16:00開演
2004年10月22日(金) 19:00開演
2004年10月23日(土) 19:00開演
2004年10月24日(日) 16:00開演
会場:水戸芸術館ACM劇場
キャスト
北里柴三郎: 長谷川 裕久
妻 富子: 米川 理恵子
娘 善子: 高良 真由美
長谷川泰: 名取 哲
梅本清作: 遠島 立夫
喜多一郎: 小林 祐介
相良知安: 渡辺 修司
娘 ふみ: 堀口 理恵
研究所員一: 澤田 考司
研究所員二: 大滝 順二
研究所員三: 横川 博之
看護婦 小森: 小原 梨紗
看護婦 野々宮:小林 抄織
看護婦 佐々木:石井 真由美
看護婦 古川: 浦井 直子
看護婦 林: 堀田 末苗
梅本の妻 貞子:中野 智美
女工: 石井 真由美、浦井 直子
北里善子(子供時代):木村 琴音
スタッフ
美術:濃野壮一/照明:佐野清一/衣裳:山口徹
小道具:二ノ宮康弘/舞台監督:久野伸二
舞台スタッフ:小坂部恵次、岩崎美奈子
音響スタッフ:山本基之
衣裳スタッフ:鯉沼言乃美、岡部利佐子
宣伝美術:菊池広子
制作:桜井琢郎、塚原絵梨子
制作アシスタント:辻本力、所美里
芸術監督=松本小四郎
料金(全席自由):
一般2,500円/学生1,500円(学生券は水戸芸術館のみ取り扱い)
・館エントランスホールチケットカウンター(9:30〜18:00、月曜休)
・館チケット予約センター Tel. 029-225-3555(9:30〜18:00、月曜休)
ATM速報受信の友の会会員様に限り、下記館ウェブサイトからも
お申し込みいただけます。(各公演前日または完売まで無休)
https://www.arttowermito.or.jp/t/authenticate.cgi
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北里柴三郎(1853年〜1931年)
嘉永5年、肥後国(現在の熊本県)に生まれる。
藩校時習館、熊本医学校に学んだ後、東京医学校(東京大学医学部
の前身)に入学。卒業後、長与専斎が局長であった内務省衛生局に
勤務。ドイツ留学を命ぜられる。
明治19年より、結核菌の発見者ローベルト・コッホ博士に師事。
破傷風菌の純粋培養に成功したのに続き、破傷風菌抗毒素を発見し
血清療法の基礎を築く。
明治25年、ドイツより帰国。福沢諭吉らの援助によって、芝公園に
わが国最初の私立伝染病研究所が設立される。所長として細菌学の
研究と指導にあたる。門下生に北島多一、秦佐八郎、野口英世など
がいた。翌年、日本初のサナトリウム「土筆ヶ岡養生園」を開設。
この当時、香港に流行したペストの調査に出張して、ペスト菌を
発見した。明治32年、伝染病研究所は内務省に移管され、引き続き
所長として活躍。先の血清療法の発明により、第1回ノーベル医学
・生理学賞の候補となるも、当時の共同研究者ベーリング(ドイツ)
が受賞した。
大正3年、内務省所管であった伝染病研究所の突然の文部省移管に
より、所長を辞任。私立北里研究所を創立して所長となる。
大正6年、慶應義塾大学医学科を創立し、初代科長。福沢諭吉への
恩に報いるため、門下生一同で運営にあたる。後に医学部長、付属
病院長を務める。大正12年、日本医師会を設立、初代会長となる。
昭和6年、逝去。享年78歳
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森本薫(1912年〜1946年)
明治45年、大阪に生まれる。京都大学在学中に雑誌「劇作」に発表
した『みごとな女』が激賞される。その後、岸田國士の指導を得て
『華々しき一族』など、鋭敏な台詞術と喜劇性に富んだ作品を次々
に発表する。
大学卒業後の昭和13年に上京。前年に発足した文学座の第1回公演
(試演と称する)に『みごとな女』が取り上げられる。昭和15年、
岩田豊雄のすすめにより文学座に入座。座付き作家として『富島
松五郎伝』などの脚色物が続いた。座員として初めて書き下ろした
作品『怒濤』は昭和19年に初演。15回の公演予定が大好評のために
さらに10回の追加公演を行い、1万8千人の観客を動員する。
最後の作品となった『女の一生』は、女優杉村春子の代表作であり、
戦後の文学座の最大の財産演目となった。
戯曲のほかに翻訳、ラジオ・ドラマ、映画シナリオの執筆など、
多彩な活動を展開した。
昭和21年、逝去。享年34歳。
文学座 公式サイト
http://www.bungakuza.com/
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