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Date: Fri, 3 Oct 1997 22:31:53 +0900 (JST)
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▼ATM速報1997年10月3日発−−−−−−−−−−−−−−−
現代日本戯曲大系3 寺山修司フェスティヴァル
【演劇は見るだけではない、時代を見ることが演劇である】
「現代日本戯曲大系」は、開館5周年記念事業の一環として、平成7年
3月にスタートいたしました。60年代後半に始まる「小劇場演劇」と
はどのような演劇であったのか、またどのような演劇としてあり続ける
のかを、90年代という時代のなかで問い直すことが本企画の趣旨です。
これまで唐十郎、清水邦夫、別役実、つかこうへい、竹内銃一郎、山崎
哲の作品を上演してきました。
「小劇場演劇」とは、西洋の近代演劇を日本的に概念づけ、それを日
本化した「新劇」と呼ばれた演劇と区別するための名称といっていいで
しょう。私たちのもっとも大きな関心は、この近代演劇にかわって現代
演劇がいつ、どのような形で登場してきたのか、そして、近代演劇とど
のような点において本質的な違いを示してきたかを明らかにすることに
あります。
そうした違いは、たしかに具体的な劇作家なり演出家の仕事を通して
明らかにすることはできます。しかし、演劇がその歴史のなかで大きく
変貌をとげるとき、そこには一つの<時代>がその変貌の物語のステー
ジとして現われてきます。日本の現代演劇にとって、その時代とはいう
までもなく<60年代>です。
<60年代>がどのような時代であったかを語るには、他の時代との
違いに触れないわけにはいかないでしょう。その一つの時代が<50年
代>です。<50年代>は、「もはや戦後ではない」という言葉にすべ
て集約された時代です。ここでいう戦後とは、戦前・戦中に対しての戦
後という意味にほかなりません。<50年代>は、まさに第二次大戦を
めぐるさまざまな議論が飛び交った時代です。しかし、安保闘争によっ
て幕を開けた<60年代>は、もはや戦前・戦中に対しての戦後ではな
く、文字通りの<戦後>の始まりを告げる時代といっていいでしょう。
そして、この<戦後>を特徴づけたものが、新たな時代の主役として登
場した<若者>たちであったことは間違いありません。
戦後15年間の政治シーンを見ますと、戦前的な政治感覚とマルクス
主義の対立という構図のなかで形作られてきました。その構図に集団的
に異議を唱えたのが安保闘争における学生たちでした。
また、60年代に始まる「集団就職」も、東京が再び経済的な中心と
なるには、都市には存在しない新たな労働力が必要であり、しかもその
労働力は若い人間でなければならないという経済政策の反映といってい
いでしょう。いずれにせよ、それによって都市に新たな集団が流入し、
彼らに必要な生活基盤の整備が結果的に、戦後の都市生活を形作ること
になります。新しい時代の都市に新しい演劇が生まれるのは、歴史的な
必然です。しかし、その新しい演劇とはいかなる演劇か、その問いに答
えるために<60年代>が演劇の熱い時代としてあったことは明らかで
す。<60年代>が演劇にとってどのような時代として幕を開けたのか。
思いつくままに振り返ってみますと−60年に、劇団四季が石原慎太郎
の『狼生きろ豚は死ね』、寺山修司の『血は立ったまま眠っている』を
上演する一方、劇団文学座がベケットの『ゴドーを待ちながら』を初演。
61年に、劇団民芸が久保栄の『火山灰地』を再演し、62年に、福田
善之の『真田風雲録』と別役実の『象』が初演。そして63年に、アート
シアター・新宿文化が「アートシアター・演劇公演」をスタートし、国
内外の前衛劇を上演。
「小劇場演劇」が現代演劇のシーンをつくり始めるのは60年代後半
です。しかし、そのプロローグは60年代初めにすでに始まっていまし
た。そして、その60年代前半がもっとも前衛的な時代であったことを、
私たちに語りうる演劇人こそ、寺山修司です。
さて、10月10日より11月23日までを開催期間とします「現代
日本戯曲大系3」では、60年から80年代半ばまで、演劇を<知の実
験室>にして多様な創造活動を展開する一方、日本の現代演劇の活動の
場を海外へ拡大していった演劇人、寺山修司を特集しました。すでにご
承知の通り、寺山修司は、演劇だけでなく映像、美術、詩・短歌、さら
には思想の世界まで、その創造的な活動の場を広げていった希有なアー
ティストです。その多様な活動領域を可能にした時代こそ、<60年代>
ではなかったでしょうか。
そこで、今回の「現代日本戯曲大系3」では、演劇作品の公演の他に、
水戸芸術館現代美術ギャラリーで特別展「新宿区北新宿4-3-3 原方
二階 笹目浩之」を同時開催します。
まずオープニングでは、寺山修司へのオマージュ作品として唐十郎が
書いた『ジャガーの眼』を劇団唐組が広場特設テントにて公演します。
寺山修司の世界を鮮烈な抒情性のなかでドラマチックに描いたこの作品は、
劇作家唐十郎にとって代表作の一つにあげられます。続いて、場所を劇場
へ移して、60年に寺山修司が書き下ろし、劇団「四季」が上演した処女
作『血は立ったまま眠っている』を山崎哲が30年振りに演出します。そ
して、長年「天井桟敷」で寺山修司と共同作業を行ってきたJ・A・シー
ザーが演劇実験室◎万有引力とともに寺山修司作『犬神』を上演します。
さらに、現代美術ギャラリーでは、一人の寺山修司ファンの目を通した
寺山修司の世界をポスター、書籍、オブジェによって構成する特別展「新
宿区北新宿4-3-3 原方二階 笹目浩之」(会場構成・小竹信節)をご
覧いただく他にシンポジウムの開催、そして<60年代>をめぐるビデオ
インタビュー(美術・音楽部門との共同企画)をギャラリー特設モニター
にて放映します。
今回の「現代日本戯曲大系3」では、日本の現代演劇の歴史に大きな足
跡を残した寺山修司の世界に焦点をあてながら、<60年代>という時代
が私たち日本人にとっていかなる時代であったのかを、歴史的資料や各界
の方々の発言を通して問い直し、「演劇は見るだけではない、時代を見る
ことが演劇である」を考えてみたいと思います。
水戸芸術館ACM劇場
支配人 松本小四郎
−−−次回配信をお楽しみに! −−−−−−−−−−−−−−−−−