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Date: Mon, 31 Jul 2006 17:19:52 +0900
From: tamamik@arttowermito.or.jp
Subject: [atm-info,02139] Special essay #4 on "KONONO No.1" by Takaki Yazawa
To: atm-info@arttowermito.or.jp
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▼水戸芸術館ATM速報2006年7月31日発 -----------------
皆様、 7月23日の『ホテル・ルワンダ』上映、
お楽しみいただけましたでしょうか。
いえ、「お楽しみ」という言い方はあまり適当ではないかも
しれませんね。
上映が終わって、目を真っ赤にして会場をあとにされたお客様。
「いい映画でした」と絞り出すようにひとことスタッフにつぶやいて
立ち去ったお客様・・・。あまりにも重いルワンダの現実は、
私たちから言葉を奪ってしまいます。
しかし、コノノNo.1が生まれた隣国のコンゴも、
その歴史の重さにおいてはルワンダにひけをとるものではありません。
今日は、コンゴという国の歴史を概観することにいたしましょう。
アフリカ中央部、赤道直下にある「コンゴ民主共和国」は、
世界で12番目という広大な面積を有する国です。
この国を貫いて流れる大河コンゴ川は4370Kmと、アフリカでは 2番目
の長さ。信濃川の10倍以上の長さですね。この川の本支流がなす
巨大な盆地がコンゴの主要な国土です。密林とサバンナに覆われた
広大な自然は動植物の楽園で、欧米の探検が進んだ19世紀の半ばに
おいても、コンゴは大空白地帯、秘境として恐れられていました
(コンラッドの『闇の奥』は魔境コンゴのイメージを大いに流布させ
たことでしょう)。東にある不思議な円形の湖「テレ湖」には、
「モケーレ・ムベンベ」と呼ばれ、アパトサウルスの生き残りでは
ないかという説もある謎の巨大生物が棲んでいるそうです。
そんなコンゴの地は、しかし14世紀から15世紀にかけては
「コンゴ王国」と呼ばれる強大な王国が支配していました。
その領土は今のコンゴ共和国のみならず、現在のガボン南部から
アンゴラ北部におよび、強固な国家組織と豊かな文化を有していたと
いいます。
15世紀末にポルトガル人がコンゴ川河口に現れ、コンゴ王国の存在を
知るのですが、決して最初から侵略者だったわけではなく、はじめは
むしろ互いの文化を尊重しあう対等な関係での出会いでした。
コンゴのアフォンソ王とポルトガルのマヌエル王の間には、互いに
敬意を払うやりとりがなされていました。
コンゴの国王もカトリックに入信するなど、西欧文明に高い関心を
持っていたとのことです。
しかしやがてポルトガルはコンゴを黒人奴隷の供給地として利用し
始め、王国は衰退の一途をたどることになります。
連れ去られた奴隷の数は一説によると約 500万人!さらに17世紀には
フランスも進出、19世紀にはベルギーのレオポルド 2世が、
探検家スタンレーを派遣してコンゴ川流域の探検を行います
(「スタンレー滝」にその名が残っています)。
それを足がかりに住民たちに不利な交易関係を次々と押しつけ、
すでに弱体化していたコンゴ王国を完全に滅ぼしてしまいます。
そして1885年のベルリン会議で「コンゴ盆地条約」が結ばれ、
コンゴはレオポルド 2世の「私有地」となってしまうのです。
貴族の荘園のようですね。しかも後述するようにもっと性質が悪い。
ちなみにコンゴ盆地の北西部はフランスに割譲されます、
この「フランス領コンゴ」はのちに独立して現在の「コンゴ共和国」
になりました。
つまりアフリカには「コンゴ」の名を持つ国が 2つあるわけです。
それぞれの首都の名をとって、旧フランス領コンゴを「ブラザヴィル
・コンゴ」、ベルギーが支配した現在の「コンゴ民主共和国」を
「キンシャサ・コンゴ」と呼んだりもします(ふたつの首都は
コンゴ川をはさんで向かい合っています)。
さて、レオポルド 2世支配下のコンゴは悲惨な運命に甘んじなければ
なりませんでした。土地は取り上げられ、果実もゴムも象牙も、収奪
され放題。ゴムの採取は現地人がやらされたそうですが、目標とする
収穫量に達しないと手を切り落とされたそうです。あまりに非道な
支配がさすがに問題となり、西欧諸国から非難が集中、
レオポルド 2世は私物化を断念し、1908年にコンゴは正式にベルギー
領になります。その後多少はましになり、経済活動も活発化しました
が(ちなみにこの植民地時代に、次回お話しする「ルンバ・コンゴ
リーズ」の音楽が形成されました)、支配を受け続けてきたことには
変わりありません。特に鉱物資源が豊かなカタンガ州ではユニオン・
ミニエール社という大資本が銅生産を牛耳り、たいへんな影響力を
持っていました。このカタンガ州が、その後の「コンゴ動乱」の火種
となります。
さて、1920年代にも「黒いメシア」シモン・キンバングの抵抗運動
などがありましたが、コンゴの人々の独立への意志がついに抑える
ことのできない奔流となったのが1950年代。主に 3のグループから
なる独立運動が団結し、1960年ついにベルギーからの独立を勝ち取り
ました。
しかし、その政治的基盤や組織は不安定で、もともと多民族からなる
コンゴは独立してからも相互の政治的主張が食い違い(独立時に、
連邦制を主張する大統領ジョセフ・カサブブと中央集権制を主張する
パトリス・ルムンバの間ですでに意見が対立)、すぐに「コンゴ動乱」
という長期にわたる内戦に突入してしまいます。この動乱の過程は
複雑極まりなく、それだけで一冊の本になってしまいそうですが、
火種となったのは、前述のカタンガ州のモイゼ・チョンベが分離独立
を宣言したことです。しかしその背後ではカタンガ州の資源を狙う
ベルギーが暗躍していたのは、これまでの流れからすればなるほど
という感じでしょう。ベルギーのみならず、欧米諸国もカタンガ州の
利権に関心があるので態度曖昧。驚いたことに国連軍はカタンガを
保護する方向に出て(本当に保護したかったのは鉱物資源?)、
ルムンバはカタンガ側に引き渡されて殺されてしまいます。
一方コンゴの政府本体は東側諸国に援軍を頼むと言った具合で、
もはや東西冷戦の代理戦争状態。そこに白人傭兵が入り込み、
国連軍も介入し、悲惨な内戦は5年にわたって続くことになります。
1965年になってようやく事態を収拾したのはクーデターで大統領に
なった軍人モブツ大佐ですが、以後モブツは30年にわたる独裁体制を
敷いてしまいます。71年には国名を「ザイール」(モブツの故郷の、
コンゴ川の湿地帯に由来)に変え、一党独裁体制を推し進めることに
なりますが、そうとうひどい人権侵害が長期にわたって行われ、
国内の疲弊著しく、ついに90年代半ばに内乱が勃発することになり
ます。このきっかけとなったのが『ホテル・ルワンダ』で描かれた
フツ族によるツチ族の虐殺でした。ツチ族の報復を恐れたフツ族は
大量にコンゴに流入、コンゴのツチ族と紛争が起こります。
この事件を「利用」したのが反政府組織「コンゴ・ザイール解放民主
勢力連合(ADFL)」議長のローラン・カビラ(ツチ族ではない)で、
ツチ族の軍事力を用いて首都キンシャサを陥れモブツを追放、
国名を「コンゴ民主共和国」に戻します。しかしその過程で、
ADFL軍によってフツ族難民が19万人も殺されたといいます。
『ホテル・ルワンダ』のまったく逆の事態が生じたわけですね。
そしてカビラは政権につくとツチ族の切り離しを行ったので、
反発したツチ族を中心にまたまた内乱が勃発、そこにアンゴラや
ジンバブエが干渉したので「コンゴ動乱」以来の国際紛争となります。
おそらくこの時期に、コノノNo.1のオリジナル・メンバーのほとんど
が死亡したのでしょう。やがてローラン・カビラは暗殺され、息子の
ジョセフが大統領になってようやく和平への歩みが始まり、2002年の
プレトリア包括和平合意でようやく統一暫定政権が誕生。05年12月に
は憲法草案に関する国民投票が行われ、今年の 2月に新憲法が発布
され、この 7月には初の民主的選挙が行われたはずです。
しかし東部地域はいまだに内戦・無政府状態が続いており、
住民の苦難はまだまだ続いているそうです。そしてコンゴは今でも
世界の最貧国のひとつなのです。
駆け足でコンゴの歴史をたどってきましたが、アフリカ史を学ぶと、
他の国々もほとんどがこのようにあまりにも重い歴史をたどって
います。その要因の多くが、植民地時代の不条理によってもたらされ
ていることは、コンゴを例に取るまでもなく、明白でしょう。そして
我々は、そのことを報道で知る機会をほとんど奪われています。
内乱で国が崩壊状態にあるソマリアやスーダンのことが、
TVニュースに出ることがあるでしょうか?
しかし、このような現実の中でも、音楽はしたたかに鳴り響き、
人々の生きる力となってきました。
次回は「アフリカ最高の音楽大国」であるコンゴの姿にスポットを
当てましょう。
水戸芸術館音楽部門主任学芸員 矢澤 孝樹
コノノ通信 3「映画『ホテル・ルワンダ』について」(速報版)
http://www.arttowermito.or.jp/atm-info/2100/2134.html
コノノ通信 2「電気親指ピアノの話」(↓画像を付けました)
http://www.arttowermito.or.jp/2006/ongaku/likembej.html
コノノ通信 1「水戸市民会館」(↓画像を付けました)
http://www.arttowermito.or.jp/2006/ongaku/skaikanj.html
「コノノNo.1」公演情報
http://www.arttowermito.or.jp/2006/ongaku/konono1j.html
ファミリー・ワークショップ「親指ピアノを弾こう!」
http://www.arttowermito.or.jp/musicpdf/kononofws.pdf
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「コノノ通信」番外編 -- お詫びと訂正
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『ホテル・ルワンダ』の上映会は、音楽部門企画事業関連企画の
上映会としては、おかげさまで最多のご来場者 257名様を記録!
(*無料でご提供の1996年『ショア』上映を除く)
感動に目を赤くして会場を後にされるお客さまが、たくさんいらっ
しゃいました。
しかし担当矢澤、ひとつ懺悔させてください。
配布したプログラム解説で、左の段の下のほうに根本的な間違いが
ひとつございます。
多数派民族「ツチ族」が少数派「フツ族」を虐殺した、とあります
が、これは逆で、多数派「フツ族」が少数派「ツチ族」を虐殺した、
が正しいです。
皆様の理解を根底から混乱させてしまうような間違いをしでかし、
たいへん失礼しました。心よりお詫びします。
もちろん、ルワンダの方々にも、心よりお詫びします。
では引き続き、「コノノNo.1」公演、ご期待ください!
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